今日のテーマは、
『 神の「しもべ」と「友」のちがいからくる神との関係の変化 』
です。
「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネ15.15)
「しもべ」と「友」のちがい
「しもべ」と「友」のちがいとは、何でしょうか。
キリストいわく、「しもべ」は、主人が何をしているか理解していません。主人の個人的な親しい事柄については、関わりをもつことが許されていないのです。
そのため、「しもべ」の関心の中心は、作業や任務にあります。
服従が何よりも大切でした。
そこに「しもべ」たちの成功がかかっていたからです。
それに対し、「友」は違うことに焦点を合わせています。
焦点は任務から神との関係に移っています。
「しもべ」から「友」に神との関係性が変わるときに起こる変化とは
「しもべ」から「友」に神との関係性が変わるときに起こる変化とは、私たちの「知っていること」が変わります。
父なる神の心に触れるようになるからです。
キリストが私たちのために代価を支払ったことにより、私たちが父なる神の心を無制限に知ることができ、真理を知ることによって与えられる自由にあずかる者としてくださいました。
また、私たちの「体験」が変わります。親しい関係において神と出会うことは、「しもべ」としての出会いとは、大きく違います。
神の臨在の領域は私たちが受け継ぐ最大の相続であり、神との出会いは、最大の記念となります。
こうした超自然的な体験の結果、必ず個人的な変革が起こります。
そして、私たちの「働き」が大きく変わります。
神のために働く代わりに、神と共に働くようになります。
神の好意を得るために働くのではなく、神の好意のもとで働くのです。
さらに、私たちのアイデンティティー、すなわち「自分が誰であるか」という認識が変わります。
どのような自己認識を持っているかにより、私たちの行動と生き方が決まります。
自分という存在に対する正しい認識をもって歩む人は、他人がどう評価しようと影響を受けません。
ほかの人々の期待に応える努力をする必要はなく、神が私たちをどう呼んでくださっているかだけに心をとめているのです。
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