人生の荒野とは

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ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領の人生の荒野

NHKで、南アフリカの大統領だった、ネルソンマンデラを取りあげた番組をやっていた。

彼は、投獄されるまで、一時期、反アパルトヘイトの闘士として、ストライキやデモ活動により、政府に圧力をかけていた。

そして、それが影響し、国家反逆罪で終身刑となり、27年間投獄された。彼は、メソジスト教会で洗礼を受けたクリスチャンであったと伝えられている。

彼は、投獄される前、白人政府に対して好戦的な思想を持っていたようだが、NHKの取材によると、その思想が徐々に変化していったことが窺える。

彼は長い獄中生活の中で、多くの書物を通して、諸外国の政治、民族対立の歴史を学んでいたという。

私個人的には、独房の中で、本人が意識的か無意識的に、そのような様々な思いを巡らす中で、聖霊との対話をし、聖霊から知恵を得ていたのかもしれないと考えている。黙想は、聖霊との対話だという人がいるが、私もそうだと思う。

彼は、刑務所から解放されると、驚くべきことに、27年もの長い刑務所生活を強いた白人に対し、この国がこれまで発展してきたのは、白人の努力によるもので、それに謝意を表明し、さらに白人と黒人が対立するのではなく、融和することを説いたのである。

そして、彼が南アフリカの大統領になると、その融和方針を政治にも適用し、黒人と白人が平和的に共存出来る社会の成立に貢献した。

もし、彼が27年間の投獄による苦しみから、白人へ憎しみを向ける思想を持ち活動したとしたら、場合によっては、他のアフリカの国のように内戦状態となり、何万人という人が犠牲になったかも知れない。

彼がもし、27年の長きに亘り投獄されることがなければ、南アフリカを黒人と白人の対立を解き、融和に導く思想を持った大統領が誕生することは無かったのかも知れない。

そのように考えると、マンデラ氏にとって、27年間の投獄は、大変不本意で、苦難に満ちたものであった一方で、その27年間の彼の学びにより、黒人と白人の融和が進まなければ、何万人もの流血と、難民を生み出すことを回避することができなかったとするならば、その27年の投獄は、非常に価値があり、尊い時間であったと言えるのではないかと思う。

預言者モーセの荒野

先のマンデラ元大統領の話には、どこか既視感が漂う。

ユダヤ人に、最も尊敬する人物は誰かと問うと、モーセが1番多いそうだ。モーセの旧約聖書時代における役割は、非常に大きい。

重労働と圧政に苦しんでいたユダヤ民族をエジプトから解放する役割を果たした指導者であり、十戒を授かった預言者である。

でも彼は、若いときから、神にその役割を担わされていたわけではなかった。まだ彼がパロ王の宮殿に、そのファミリーの一員として生活していたときに、苦しんでいるユダヤ人を助けようとして、エジプト人を殺してしまう。

そして、その事件をきっかけに、モーセはパロの元を離れ、異邦人の婿養子として、荒野で家畜を飼うようになる。

モーセは、きらびやかなパロ王の宮殿で生まれてから40年を、そこで過ごし、荒野でも40年を過ごす。

そして、ついに80歳になったときに、突然、指導者としてエジプトからユダヤ人を解放するよう、神から直接指示を受ける。

でも、神があなたを指導者にすると言うと、モーセは、それを頑なに拒否した。モーセの気持ちは理解出来る。もし、モーセが現在生きていて、同様なことを言われたと仮定するならば、いわば、北海道の片田舎でのんびりと家畜を飼っていた80歳の老人が、明日から、東京の総理官邸に居る、安倍首相の所に日参して、アイヌ民族全体がロシアに移民することを法律を改正して認めるように陳情するように言われているようなものだから。

モーセが、そのようなことが、自分に出来るはずがないと、断ったのは、人間的に考えると当然と言える。

でも、聖書でモーセと神のやり取りを見ると、神は、モーセが指導者として適任であることを確信していたことが分かります。

自分の人間としての能力、将来的な可能性が、本人にさえ分からないことが、神にはわかるということが示唆されています。

モーセは、80歳で指導者として、任命されてから、その後40年間、指導者としての過酷で厳しい道のりを完遂することになりますが、それが彼の役割だということを、80歳で神から任命されたとき、知る由はありませんが、神は当然、その可能性(40年間、指導者としての重い責任を全う出来る)が分かっていた。

モーセが40歳ごろのとき、まだパロ・ファミリーとして宮殿に居たとき、モーセはおそらく、自分はエジプトの王家の一員だから、何でも出来ると自分の力を過信していたかも知れない。だが、ユダヤ人をエジプトから救おうとしたとき、エジプト人を殺して失敗してしいる。

40歳のモーセは、人間的に考えると、当時最高の教育を宮殿で受け、王家の一員としての権力も持っていて、自分は何でも出来るという気持ちがあって、ユダヤ人を救おうと考えたかもしれない。

しかし、神から見ると、40歳のモーセは、ユダヤ人の指導者としては、まだ足りていないものがあると考えられたのではないだろうか。

もしくは、取り除かれるものが必要だったかも知れない。たとえば、モーセは、パロの宮殿で育てられ、その教育を受けたエリートであった。自分は、当時、権力もあり、何でも出来ると考えていたかもしれない。

しかし、神からすると、モーセのそれまでのパロ宮殿での経歴、権力は、彼が指導者になるためには、却って邪魔だったのかもしれない。

キリストは、「高ぶり」は人の内側から出て、人を汚すと言われた。英語の聖書では、「傲慢」という言葉が用いられている。

パロの宮殿に居たモーセは自分は王家の者で権力があり、何でも出来るという傲慢さがあったかもしれない。

そして、その後40年間、荒野で、その傲慢さが徹底的に砕かれ、聖霊との対話の中で、過去にも、将来にも人間の歴史上、例が無いほど、親密な神との関係が築かれることになったのではないだろうか。

モーセのユダヤ民族の指導者としての働きの源泉は、神の力であり、そして、その力をモーセは、神との親しい関係から得ていた。

どこか、マンデラと似ている。マンデラが大統領になったのは、27年間の投獄から解放されて、76歳になったときであった。

もし、モーセも、また、マンデラも神によって計画された歩みであったと仮定すると、マンデラの人生の荒野とも言うべき27年間、モーセの荒野での40年間は、神の御目には、どのように映っていたのだろうか。

マンデラが南アフリカという国が内戦にならないよう、また、白人と黒人の対立により社会が不安定にならないようにするため、大統領として整えられるために27年間という、気の遠くなるような年月を神が必要と考えていたとしたら。

モーセがまだ、パロの元に居たとき、エジプト人を殺してしまった時期に、神が、モーセにユダヤ人をエジプトから解放するには、まだ時期が早く、その後、モーセを指導者として育成するために荒野での40年間が必要だったと、神が考えていたとしたら。

モーセと神の親密さは、他の預言者に比べても比類なく、圧倒的なものだった。モーセは神と直接顔を合わせて会うことが出来た。アダムとエバがエデンの園を追い出されてから、人間が神とコミュニケーションを取る手段は祈りだけだった。そして、神を直接見たものは死ぬとされていたが、モーセは死ななかった。

ダビデ王の時代には、神の箱を支えようとした祭司が、死んでいることからも、モーセが神に近づいての死ななかったことは、モーセが神と特別な関係にあったことを示している。

そのような、モーセと神の親密さは、モーセの荒野における、聖霊との対話により、築かれたものではないかと思う。

神は時として、とても長い期間を待って、人が成長することを待つことがあるのではないかと考えさせられる。

もし、誰かが、長い間、自分は何て不遇の身なのだと嘆いていたとしても、希望があるのではないだろうか。モーセは40年、マンデラは27年、荒野に居た。

日本でも最近では、人生100年だと言われている。

そして、もう1つ、忘れてはならない、モデルがある。

それは、イエス・キリスト。

キリストは、神であったが、完全な人間として、地上に来られた。しかし、聖霊により荒野に導かれ、40日間試練にあった。

キリストでも試練に遭うことが必須であるならば、人間は尚更。

そして、試練が大きければ大きいほど、その後、与えられる責任は大きい可能性が高いように思える。マンデラ、モーセ、キリストの責任は、非常に大きいものだった。

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