初詣で願うことをすべてかなえることが出来る神がいるとしたら

救い

日本人が初詣に行く主な目的

正月になると、日本人は神社に初詣に行きます。

初詣に行く人の目的は人により色々だと思います。

受験の成功

たとえば、高校、大学受験の合格。これはよくあるパターンですよね。 


仕事の成功

会社を経営している人であれば、仕事がうまくいくようにと願をかけるケースも多いでしょう。

家庭円満

家族に災難が振りかかからないよう、1年間の無事を祈る。家庭、家族は大事ですから、このように祈る人も多いかと思います。    


健康

自分や家族が病気にかからず、健康でいられますように願うことも多々有るかと考えます。

大病をわずらえば、自分だけではなく、家族を巻き込むことになりますから、健康が一番ですよね。

初詣に行く目的は、他にも色々あるかと思いますが、だいたい大きく分けると

以上のようなことを願うために行く人が多いと思います。

中には、別に祈ることも、願うこともないけれど、神社に行くと神聖な感じがして、新年に行くにはふさわしいからと考えている方も多いかもしれません。

神社の神に、普段信仰心が無くても初詣に行く日本人

欧米では、教会に行く人の多くは、信仰心の程度に違いこそあれ、信仰心があって教会に祈りに行く人が多いです。 

イスラム教徒もモスクに行く人は、ただ単に行事として行くのではなく、少なからず信仰心があって行くのではないでしょうか。 

でも、日本人の場合、普段、信仰している神がいなくても、1年の無事を祈りに神社に初詣に行く人が多いのは、どこか不思議ですよね。 

特に普段、信仰心は無いのだけれども、神という存在はどこかにあるのではないかと、潜在意識、もしくは日本人の遺伝子にそのような漠然とした「神観」なるものがあるのかも知れません。 

そして、その神が初詣に行き、願うことで、自分の祈りが神に届き、かなえられるのではないかという、漠然とした意識というか、僅かな可能性でもあれば、それにあやかりたいという気持ちの表れかも知れません。 

私のクリスチャンとしての信仰心のきっかけは聖書

私は、高校生のときにクリスチャンになりましたので信仰心があります。

でも小学生のとき、やはり漠然と神は存在すると思って、お守りは大事にランドセルから吊るしていました。

高校生になってから聖書を読んでみると直感的に、これはただの本ではないという印象を強く受けました。


聖書は、神の霊感を受けた人が書いた書物とされています。聖書を読んでも人によって、その印象は様々だと思いますが、私はそのような印象を受けました。

それまで読んだ多くの本とは全く異なる不思議な印象を受けました。

初詣で日本人が祈ることはすべて聖書に答えがある不思議

受験・将来の人生計画

受験で希望する学校に合格すれば、自分が将来望んでいる進路に進むことができる機会が得られるために、初詣で、その合格を祈願します。

でも、必ずしも、その人にとって、希望する学校に合格することが、その人にとり良い選択であるとは限りません。


たとえば、大学受験で志望している学校の法学部に合格したものの、自分ではやはり医学の道を目指したいと考え、医学部に入るため再度大学受験をする人もいます。

さらに言えば、折角苦労して医学部に入り直し医師になったとしても、その人の将来が幸せなものになるという保証はどこにもありません。

その理由は、人は将来を完全に予測することができないからです。

聖書は、神は唯一時間を超越した存在で未来のことを見通すことができると言っています。

そして、神は、人ひとりひとりの人生に計画を持っていると聖書では言っています。


Crucifix cross at sunset background, crucifixion of Jesus Christ

自分は何のために生まれてきたのかと考える人も多いかと思います。また、自分には人生に目標があり、その達成を目指して努力する人もいます。

その人にとって、どのような人生が最善なのかは、基本的には神にしか分かりません。その最善の道を神から示されて、その道を歩む人はクリスチャンの中には少なからずいるのではないかと考えています。

自分の努力で社会的に成功する、自分の希望にかなった人生を歩み充足した一生を過ごすから、神は必要無いと考える方も多くいるでしょう。

聖書では、人は肉体のほかに魂と霊を持っていることを示し、死んで肉体が滅んでも霊は残ると言っています。


そして、人は死ぬと必ず裁きにあうとも言われています。神のことを聞いたことが無ければ、自分が持つ良心に従って裁かれます。

クリスチャンの人とそうではない人の大きな違いの一つは、将来の時間軸です。

クリスチャンは死んだあとの永遠の命による永遠の時間を見ていますが、そうではない人は、死んだあとのことを考えていません。

仕事の成功

初詣で仕事の成功を祈願する人は多いと思いますが、その祈願が必ず成就すると全ての人は考えていないと思います。

クリスチャンは祈りの中で仕事の成功を神に求めます。多くの人は、その祈りが応えられ、成功している人が少なからずいます。


家庭円満

クリスチャンはよく、人間関係が祝福されるよう、夫婦間、親子間の関係が良くなるよう祈ります。決定的に悪化していた夫婦関係が神の働きにより良くなった例が多くあります。

健康

健康は、人生の中で一番大事だと言っても過言ではありません。聖書では、キリストがすべての病をいやされた、いやされなかったことは一度も無かったという記述が残っています。

最近聞いた話では、ガンや白血病などが奇跡的にいやされたと聞いています。神には不可能なことはありません。


初詣

クリスチャンは神に祈るときに、わざわざ教会まで行く必要はありません。クリスチャンは、クリスチャンになるときに神の霊である聖霊を受け取り、クリスチャンの体は、神の聖霊が宿る宮であると聖書は言っています。

そのため、いつでも、どこでも神に祈る特権が与えられています。

まとめ

みなさんは、かなえたい夢、希望、解決したい問題、病があるでしょうか。自分の努力で解決出来ることもあるかと思いますが、もし願いがかなうことを切に願っていることがあれば、ぜひ神を信じ受け入れてください。

心に平安が与えられ、希望がかない、問題が解決します。神はあなたのことを愛しているからです。


自宅で一人で簡単に救いを受け入れられます。

実際のところ、私が救いを受け入れたのは、一人で自宅にいた高校生のときでした。

救いを受け入れるためには、必要な行動は、下記1、2だけです。

1 救いの受け入れるために信じること

(1) アダムとエバを通して人類に罪が入り込んでしまったことにより、人間が生まれつき罪を持って生まれるようになり、自分もその性質をもっていること

(2) 神が神のあり方を捨てて、人として来られたキリストが罪の無い状態で十字架の刑にかかり死んだことにより、それを信じ受け入れる人の罪がゆるされて神と和解できること

(3) キリストが十字架で死んだあと、3日後に、救いを信じる人を義と認めるためによみがえり(生き返って)、その後、天国にもどられたこと

2 上記1を信じていることを口で発声して告白する(このことを信仰告白と言います)

「私は、アダムとエバを通して人類に罪が入り込んでしまったことにより、人間が生まれつき罪を持って生まれるようになり、自分もその性質をもっていることを認めます。また、これまで神から離れて、神を信じていなかったことを悔い改め、キリストが十字架の上で自分の罪を背負って死なれたこと、その救いを信じます。わたしの心にキリストの救いを受け入れます。」

以上、1で「心に信じる」、1で信じたことを「口で告白する」の2つの行動をとるだけで、キリストの救いを受け入れることになり、神と和解し、永遠の命を持つことができるようになります。

救いを受け入れたら、どうすれば良い ?

救いを受け入れることは、素晴らしいことですが、信仰(目に見えないこと、まだ起きていないことを信じること)生活はスタートしたことになるものの、いろいろと知るべきことがあります。

そのため、近くの教会に行って、礼拝(神を賛美し、礼拝すること)に出席して、神との親しい関係を維持し、育むことが必要です。

相談いただければ、居住エリアにあるキリスト教会を紹介しますので、お気軽にご連絡ください。

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