クリスマスの意味
クリスマスというと、美味しいものを食べて、プレゼントを交換するのが一般的。
でも、クリスマスは、本来、キリストが生まれたことをお祝いする行事です。
では、キリストとは誰でしょうか。
今から約2千年ほど前に、今のイスラエル国に救い主として生まれた人です。キリストは、神でしたが、神のあり方を全部捨てて、人として、この地上に来ました。
「キリスト」は、救い主という意味です。では、救い主とは、どういうことでしょうか。
神はどのような存在? 神は愛
救い主の説明をするために、神の性質の説明をします。
神の性質
1 神は霊
神は霊なので、目に見えません。ただ、エデンの園にいたときの最初の人間だったアダムとエバは、神と顔を合わせて話ができました。
そのため、その当時のアダムとエバは、霊である神を見ることが出来る霊的な目(霊的能力)を持っていました。
しかし、神に食べることを禁じられていた善悪を知る木の実を食べてしまったことにより、神からエデンの園を追い出されたのち、その霊的能力を失ってしまったようです。
2 神は正しく、善なる方
神は常に正しく、間違いがなく、善良さ、誠実さに満ちている方です。
3 神は聖い方
4 神は愛
神の人間に対する愛はとても強いものです。神がキリストとして地上に生まれた理由は、人間に対する愛のためだと、はっきりと聖書に示されています。
人間がつくられた理由は ?
神は、神と人がたがいに愛ある親しい関係を持つことを望んで、人をつくられました。
人間と神の関係がこわれた悲劇
アダムとエバがエデンの園にいたころ、神と彼らは、顔を合わせて話ができるほど親しい関係がありました。
そこにサタンがあらわれ、アダムとエバをそそのかして、神から禁じられていた善悪を知る木の実を食べてしましました。
そのことにより、人類全体に罪が入り込んでしまい、人間が生まれながらに罪を持って生まれてしまうことになりました。
罪を持ったアダムとエバが神に近づくと、アダムとエバは、神のその性質により死んでしまいます。
そのため、アダムとエバは何不自由なく生活していたエデンの園を神に追い出され、神との親しい関係も無くなってしまいました。
その後、キリストが十字架による罪のあがないを完成するまで、大祭司以外の限られた人が1年に1度、動物のいけにえを持って近づくこと以外に、人が直接神と話をすること、近づくことが出来なくなりました。
キリストが完成したこと
キリストは、神と人類の親しい関係をじゃましていた罪(アダムとエバが善悪を知る木の実を食べたことによって全人類に入り込んだため、人間が生まれつき罪をもって生まれるようになった)を取り除いて、それを信じて受け入れる人が
1 死後裁きに受ける必要がない
2 永遠の命を得る
3 死んだ後、神がいる天国に入れる
4 生きている間、神と親しい関係を持つことができる
5 神との親しい関係から真理・神の心を知ることが許される
5 平安がえられる
6 生活が祝福され、何不自由ない生活を送れる
7 あらゆる病がいやされ、健康が守られる
永遠の重みをもつ、罪。。。
罪というと、ほとんどの人が、自分は犯罪をおかしたこともないし、悪いこともしないから善良で、罪にあたることは何もしていないと思うでしょう。
だから、たとえ、死後裁きにあっても有罪にはならないと思うのではないでしょうか。
でも、神は、行動だけを見て人を罪にはさだめません。
神は、霊なので、人が心に持つ悪い思いをすべて知ることができます。神からすると、実際には悪い行動していなくても、悪い思いを持つことをすべて罪とみなします。
また、たとえ、心に一切悪い思いをもったことのない人でも最後の審判では有罪になります。
それは、なぜでしょうか ?
それは、神を信じない不信の罪のためです。
そのため、神の裁きを受けることになれば、神を信じていない、キリストが完成した救いを受け入れない場合、確実に有罪になります。
そして、有罪になると永遠に続く大変な苦しい思いをする地獄に入らなければならなくなります。
永遠に消えることのない火で焼かれるというのが、神の裁きの結果、有罪になった人が受ける罰なのです。
永遠の苦しみを受ける可能性が0.1%でも感じられるなら、是非ともキリストの救いを受け入れることをおすすめします。
永遠に効力のある保険として、救いを受け入れるべきです。
救いを受け入れても、お金はかからないし、損もしません。だけど、保険(救い)が無いために地獄に行くことになれば、永遠の苦しみを受けることになってしまいます。
単なる宗教行為(存在しない神を気休めのために信じて、得られるものが何も無い)なら、私はここまで、熱心に、みなさんに救いを受け入れることをすすめません。
でも、わたしのこれまでの生活から判断すると、神が実際に存在することは確実です。
これまで、わたしは、単なる偶然というには不思議すぎる体験を多くしてきました。病のいやしも経験しました。祈りも数え切れないほど聞かれ実現してきました。
救いを受け入れるためには
救いを受け入れることに、私や、教会の牧師は必要ありません。
自宅で一人で簡単に救いを受け入れられます。
実際のところ、私が救いを受け入れたのは、一人で自宅にいた高校生のときでした。
救いを受け入れるためには、必要な行動は、下記1、2だけです。
1 救いの受け入れるために信じること
(1) アダムとエバを通して人類に罪が入り込んでしまったことにより、人間が生まれつき罪を持って生まれるようになり、自分もその性質をもっていること
(2) 神が神のあり方を捨てて、人として来られたキリストが罪の無い状態で十字架の刑にかかり死んだことにより、それを信じ受け入れる人の罪がゆるされて神と和解できること
(3) キリストが十字架で死んだあと、3日後に、救いを信じる人を義と認めるためによみがえり(生き返って)、その後、天国にもどられたこと
2 上記1を信じていることを口で発声して告白する(このことを信仰告白と言います)
「私は、アダムとエバを通して人類に罪が入り込んでしまったことにより、人間が生まれつき罪を持って生まれるようになり、自分もその性質をもっていることを認めます。また、これまで神から離れて、神を信じていなかったことを悔い改め、キリストが十字架の上で自分の罪を背負って死なれたこと、その救いを信じます。わたしの心にキリストの救いを受け入れます。」
以上、1で「心に信じる」、1で信じたことを「口で告白する」の2つの行動をとるだけで、キリストの救いを受け入れることになり、神と和解し、永遠の命を持つことができるようになります。
救いを受け入れたら、どうすれば良い ?
救いを受け入れることは、素晴らしいことですが、信仰(目に見えないこと、まだ起きていないことを信じること)生活はスタートしたことになるものの、いろいろと知るべきことがあります。
そのため、近くの教会に行って、礼拝(神を賛美し、礼拝すること)に出席して、神との親しい関係を維持し、育むことが必要です。
相談いただければ、居住エリアにあるキリスト教会を紹介しますので、お気軽にご連絡ください。
質問・相談何でも受け付けます
クリスマスの意味、救いのことを説明してきましたが、何か分からないこと、聞きたいことがあれば、分かる範囲でお答えしますので、お気軽にお声かけください。
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